「境界を渡る」性転換者エッセイ

性転換 Man ➡ Female として境界を生きるひとのエッセイ

まあそういった専門的な病院では、ある種の「練習場」のような側面を発揮するらしい話。

 

駅の改札口を出るとその地下路はいつも人通りがあって、この時間帯では、スーツ姿の人々が時僅かなり!という具合にせこせこと行き交う。大通りの端々には、煌びやかなお店が幾つも立ち並んでいてそれは私達を歓迎しているようでいて、だけれどもどこかしら薄く淡泊で、店先のショウウィンドウのなかのお洋服がだけれども魅力的で、私はついつい目を逸らしてしまいながらとぼとぼと歩いた。そして都会的な雰囲気が、10分も歩くとすこし外れる。

私は2週間に1回のペースでこの路を歩いて、その先にある病院で、ホルモン療法を受ける。それは G I D(性同一性障害)と診断された人が、次に受ける療法である。また更年期障害を抱える女性にも近しく馴染みのある言葉だろうとおもう。G I Dに対する療法、つまり、女性になりたいのであれば
女性ホルモンを、男性として生きたいのであれば男性ホルモンを注射していただくわけだ。このホルモン療法については本日は割愛してまたの機会にして、まあそういった専門的な病院では、ある種の「練習場」のような側面を発揮するらしい話。

――人は自分自身については暗闇の中にいるのも同然です。
自分を知るには、他人の力が必要なのです。    カール・グスタフユング

ほほう・・・。

病院の入口扉を開けると、待合ロビーにあった幾つもの「目」という目が一挙にこちらに視線を投げかけてくる。品定めをするような視線に、ある種の恐さが満ちる。「!」となる。これがセリにかけられるお魚のような気持ちなのかな、とかそんなことをいつも考えさせられる。
品定め・・・とはさておき、要は、ここに来る人は性転換者のみであり、そのお姿も千差万別。この場所にはいわゆる同じ境遇の人のみが集うわけであり、骨格等に代表されるお悩みをお上手に隠すお洋服の着方や持ち物、意識などを「参考」にしたりすることもできるのだ。よって、ガン見されたら嫌だし気になるし、自分がされて嫌なことは他人にしちゃならん、とわかっていても、いざ私も席について順番を待っているときは、恐れることなくそして全力で扉を開くあの人をガン見してしまう・・・!


やはり産まれもって女性の身体とは、完全に違う部分がある。
もうすこしお尻に丸みがあればとか、もうすこし肩が薄ければとか、想えば尽きることなく想うのだ。そう。お悩みはいつだって尽きない。
それに幾つになっても綺麗でいたいし、可愛い自分でいたい。その気持ちを強く持つなかで、ふだんの生活では、悩みを共有できる人がいない。
――だから、ガン見する。(汗

そうしたなかで、いわゆる普通の男性女性が時や経験とともに「男」「女」として変化していく過程を、G I Dの私達はこの待合ロビーで疑似体験をするのかもしれない。己を知るのには、他人の力が必要だ。例えば女性として生きる決意をした方は、私もそうだったように自身が年齢をある程度積み重ねていても、若い方がするような恰好をする方がおおい。けれどもそれはごく一般的なことだと考える。決意したときから私達も、幼い男の子・女の子からスタートして、幾つも他人を知って、男性・女性として、ついに「男」・「女」として、「成長」してゆく。それは産まれもったその性を生きる人々となんら相違ないはずである。

人は成長し、変わってゆく。
今がそんなにうまくいってなくても、悩みや不安でいっぱいで、つらいことが多くて挫けてしまいそうでも、時は必ず違う環境へ運んでゆくし、そして身体も変わっていくもの。だからそんなに泣いてばかりじゃなくて、すこしでも楽しめる方法を考えようよって、前を向こうよって、あの日の私に言ってあげたいなあともおもう。人は成長し、変わってゆくのだ。

「ふくおかさん~」
と診療室からおよびがかかったので、この話はここまでに。

境界を渡って、次の境界に納まるという

 

 

 

 

この点についてはいつだって不可思議なことであったし、そもそもなぜ、

おぱんつを履くことさえおぼつかなかったかつての幼いままの私自身が、世も

甘も辛も嬉も喜も自身さえ知らぬようなヒヨッコの私自身が、さあその境界を

越えてゆこうと想い決意したのかさえ、できたのかさえ、今でも記憶はあやふやで

あるし、私の人生のなかで在ったとても不思議なことの代表的なひとつでもある。

 

そしてあの日、実家のあるあの育った街の大通り沿いに、ぬめっと建つ古い市役所の

鼻を衝くようなカビ臭いエレベーターに乗ったあの日。自身の戸籍の性別欄と備考に

「矢印」がついて性別が正式書類上変わったあの日に、たしかに私は性別という

ひとつの境界を渡りきったのだ。

 

 渡りきって、次の境界に納まった。

 

 

私が書面上も女性となって、女性という境界に納まってまもなく

10年の時が過ぎようとしている。

このことを知るのは私の両親と親戚、パートナーと、これを読むあなただけ。

 

10年が経つから・・・というわけではないのだけれども、

渡りは永久に終わらないわけであるし、

このひとつひとつの雑談が誰かかしらのお役に立つことを祈りつつ

はじめの記しとしたい。